立て板に水

20代の頃の話だ。


ある日、社長室に用があって入ると、例のカリスマ社長に言われた。

「中野君は、『立て板に水』のような話し方をするよね」。

「それも良いんだけど、やっぱり男は愛嬌だよ。

女は度胸で良いんだ。男は愛嬌なんだぞ。」と。


考えてみれば、社長は、昨日今日、田舎から出てきたというような話し方をする。

一度でも社長と話せば、みんなファンになる。

厳しいのに、どこか安心するような、

威厳があるのに、どこかかわいいような話し方だ。


一代でこれだけの会社を作り上げ、

大企業と対等に渡り合うような社長とは思えないような話し方だ。

でも、だから魅力があるのだろう。


一方で、その頃の自分は、頭良く見られたいとか、

切れ者に見られたいとか、背伸びしていたに違いない。

20代の若さで、大手金融機関の支店長と渡り合うような重責を任されたのだから、

肩にチカラが入っても、致し方なかったのかもしれない。


その日から、出世していく人、成功している人の話し方を研究するようになった。

営業成績全国トップの営業マンの話し方、いろんな会社で上にいく人の話し方、

自然と部下がついていく人の話し方など。


一つのことに気がついた。

『立て板に水』の人は居なかった。

頭良さそうな話し方をする人も居なかった。

むしろ、自由奔放で、わがままで、おもしろい人。

表現するなら、構えず、「素の自分」でいられる人なんだと。


その日から、新しい自分になることができた。


中野 裕哲 - Hiroaki Nakano        - オフィシャルブログ